「10=とう 4=し」
答志の日なんですよ。
答志の名前の由来は
4説ほどありまして。
万葉集で柿本人麻呂が
詠んだ歌に「手節」とあり
「てふせ」が「とうし」
になったとか、諸々。
とにかく歴史は古いのです。
昭和39年に答志島の
向かいにある大築海島を
調査したところ、
縄文時代と考えられる
貝塚などが見つかりました。
それを証明するのが
現在、鳥羽のガイドセンターで
開催している「大築海海人」展。
土器が答志へ里帰りするのは
少し先になりますが、
連休中に鳥羽へ行かれたら
ぜひお立ち寄りください。
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